命の値段

ばば(S62卒)


 朝早く、インドのバラナシ(ベナネス)という街に着いた。
宿を決めてから(30ルビー/一泊、個室、共同トイレ、
共同水シャワー、毛布は薄く汚い)、とりあえず舟に乗って
沐浴する人々でも見に行こうと、ガートへ行ってみる。
ガートとは石畳でできた沐浴場であり、街のガンガー
(ガンジス川)側にある。このガートはガンガ一の中まで
続いており、ガンガーの水位が雨期と乾期ではかなりの差
があるので雨期には短く、乾期には長いそうだ。
 バラナシの街の川下側には汽車も通っている立派な鉄橋
が架けてあり、バラナシの川上側には浮子の上に板を置い
ただけの、然れど結構立派な仮設の橋が、水位の低い乾期
の間だけ架けてある。今はこの仮設の橋が架けてあるので
乾期である。このバラナシという町はガンガ一の西側に建
てられた街で、その対岸は何もなく、泥の原っぱがあるだ
けである。(バラナシの街は、朝日を見ながら林浴するた
めに西側に建ったとか)。朝になると人々はこのガートに
打って休浴をしたり、洗濯をしたりしている。
 アメリカから来たというジャーナリストを誘って割勘で
に乗った。彼は、3か月の休暇をもらって旅行しているそ
うである。ジャーナリストには広い見識が必要なので、
会社はこのような休暇を認めてくれるそうだ(アメリカで
は)。ちょっと羨ましい。
 朝霧の中を無数のヒンドゥー教の寺院を見ながら舟に
乗っていると、それだけで感動してしまう。
一緒に乗り込んできたバラナシに住んでいるというインド
人の自称大学生と、3人で「ヒンドゥー教徒にとって、
死ぬときに、ガンガーの河原で焼かれ、ガンガーに
流される事」の意味について話をした。

私  「ヒンドゥ一教徒は、なぜ死ぬときはガンガーに来
    て、力ンガーで焼かれ、ガンガーに流されること
    を欲するのか。」
学生 「死んだときに、ガンカーで焼かれ、ガンガーに流
    されると、それで輪廻転生が終わり、生まれ変わ
    らなくなるからさ。」
私  「じやー、インド中の泥棒や人殺しなどの悪い力ル
    マ(業)を持った人達は、みんな死ぬときはバラ
    ナシへ来るのか。だって、生まれ変わらないから、
    悪い来世を生きなくていいのだから。」
学生 「そうだ、」
私  「じや、バラナシの街は悪人だらけではないか。」
学生 「でも、いい人や、お金持ちも来るのだ。」
私  「いい人や金持ちは、来世もいい人生を送れるのに
    なぜガンガーで焼かれガンガ一に流されるのか」
学生 「・・・・・・」

この学生が教えてくれたガンガ一と輪廻転生の話は、本
で読む諸説とは違うようだが、朝霞のガンガ一の雰囲気の
中で聞くと、嘘とは思えず、とても興味深い話であった。
 ガンガ一では誰でも火葬してくれる訳ではなく、幼児や自殺
者など人生を全うしていない人は火葬してもらえないとか、
それを考えれば彼の言っていることもなんとなく分かる。
バラナシには火葬場が2つある。一つは本当に河原にあ
り、屍は布につつまれ、薪の上に載せられ、焼かれる。薪
の火力では完全に灰に成るはずもなく、黒焦げの屍はその
ままガンガーへ流される。もう一つは川岸の鉄筋コンクリ
ートでできた建物の中にあり、日本の火葬場もまつ青の近
代的なもので、棺桶に入れられた屍は窯の中に入れられ、
ガスで焼かれ完全な灰になる。完全な灰になるため、焼か
れた後ガンガ一に流されても、屍を動物達に荒らされる恐
れはない。しかし、当然のごとく、前者が金持ち用で、
後者は貧乏人用である。
立入り禁止とも書いていないので、貧乏人用の火葬場に
入っていくと、そこで働いている人が出て来て、頼みもし
ないのにガイドをしてくれる。3階建てのビルのそれぞれ
の階に2つか3つ窯がある。「写真を撮っていいか」と聞
くと、辺りを見回して、だれもいない事を確かめ、「**
ルビーくれたら、いいよ」(値段は思い出せないが高くな
い)と言った、罰当りなものである。
金持ち用の火葬場はオープンスペースにあるため見るの
は自由である。しかし、写真を撮ると必ずトラブルに巻き
込まれる、決して写真を撮らないこと、とガイドブックに
は書いてある。この火葬場の周りには見張りがいて観光客
が写真を撮らないか監視しているのだ。現地では、写真を
撮っているのが見つかると、力メラを取り上げられるか、
100ドル払わせられる、(写真を撮ると必ず見つかる)と
聞いた。布で巻かれた屍は、梯子の様な物に載せられ運ば
れて来る、薪の上に載せられ、屍の上にも薪を載せ焼かれ
る。白い煙が太陽に照らされながら、ゆらゆら昇っていく。
これらの光景を見ていると、時が本当にゆっくり、ゆっく
りと流れているのを感じる。

 次の日、私も林浴をしようと、朝早くガートへ行った。
ガンガーの水は濁っておりトロツとしているようだ。ガー
トの近くにいるバラモン(行者)に衣服を預け、パンツ一
枚になった。足の指で水に触ると冷たい。腰まで浸ってみ
た、冷たいが耐えられない程ではない。ちょうど太陽が昇
る頃、首まで沈め顔を洗った。次の瞬間には当然の事のよ
うに泳いでいた。どの位の深さだろうと、足を下にして潜
つてみると、まだそれ程深くなく、ネチヤッと、粘土質の
底質を確認できた。
泳いでいると意外に心地良い。ガンガーの真中まで行っ
たら戻ろうと仲に向かって泳ぎだした。力ンガ一の真中ま
で来て振り向くとバラナシの街が一望できた。人々が私の
存在には気付かず、もくもくと、毎朝の習慣的行為をして
いるところを見ていると、ちょうど鳥獣図を見ているよう
な錯覚を起こし、自分が聖人になったような気分である。
バラナシの街と対岸を見比べると、同じくらいの距離であ
る。今まで泳いだ距離と同じだけ泳げば対岸に着くのだと
思うと、案外簡単な事のように思えてきたので再び沖に向
かって泳ぎだした。
ガンガーでは、焼かれず流された幼児の屍が流れていた
り、淡水産のイルカが見られると聞いていたが、そんな物
どこにもいないじやないねーと思いながら泳いでいると、
意外に簡単に対岸に泳ぎ渡ることができた。しかし、やたら
寒い、水の中よりも外は風もあり、とても寒い。それで
も、ガチガチ震えながらビニール袋に入れておいたカメラ
でバナラシの街の展望写真を撮った。
帰りも泳いで帰るのは嫌だなと考えていたが、とにかく
外は寒く水の中の方が暖かいので再び泳ぎだそうとしたら、
舟のオツチヤンが「Danger! Danger! Dangerだから俺の舟
に乗っていけ。」と言ってくれた。これは有難いと思った
が、ついつい旅の癖で「How much ?]ときいてしまった。
「5ルビー」と返事があった。決して高くない、別に、こ
のことで儲けようとしている訳ではないことはすぐに分か
ったが。つい旅の癖で「Can you discount?]ときいてしま
った。「3ルビー」と返事があった。しかし、この会話の
間も体は寒気に晒され、とても耐えられそうになくなって
きた。そこでついつい、暖かい水の中に入ってしまい、そ
のまま泳ぎだしてしまった。船のオツチヤンは「No! No!」
と言っていたが、それ以上は追って来ない。(当たり前で
あるが)
また、ガンガ一の真中まで来てから考えた、「3ルビー
か、日本円にしたら15円足らずだな、ここで溺れて死ん
だら俺の命は15円だった事になるのか。」と。そこで死
ななくても、人の命なんてそんなもんかもしれない。
バラナシの街に近づいたとき、だいぶ体が冷えてきて動
かしにくくなってきた。「たいへんだ、体が動かなくなる」
と焦る気持ちと、「もう、こんなに近くまで来たのだから
大丈夫だな」という余裕の気持ちが闘っていた。しかし、
割と簡単に後者の気持ちが勝利しバラナシの街に着くこと
ができた。
やはり、少し下流に流されておりバラナシの街をずぶ濡
れのパンツ一枚で走ることになった。途中でいろいろな人
が話しかけて来るが、寒くて寒くてそれどころではない。
早く体を拭いて、服を着たい」と、ただひたすら元の場
所へ向かって走った。
元の場所に戻ると、見ていた人達から歓声があがり、
ワンスモア一」とふざける人や、「あんな事をすると、
ほんとうに死んでしまうぞ、もう二度とするな!」と本気
で怒っている人がいた。(みんなインド人)私はそんなこ
とはどうでもいいから服を着たかったが、少し反省した。
そんな私を見て、服を預けておいたバラモンが「早くこっ
ちへ来て服を着ろ」と言ってくれて、チャイ(インド風ミ
ルクティ)をおごってくれた。とっても暖かく、おいしい
チャイであった。
このとんでもない寒さと、おいしいチヤイがそれまで、
不消化、不完全燃焼、を感じていた旅を完熟させてくれた。

(終)

P.S.
ガンガーで沐浴をして下痢になった、と聞いたことがあ
ったので、沐浴の後は宿に帰りシャワーを浴びようと考え
ていたが、ガンガ一を渡った後では、そんなことは、もう、
うでも よくなり結局そのままシャワーも浴びず日本へ帰
ってきてしまった。私が下痢になったのは帰国して2週間
後であった。


ばばさんより、掲載にあたって、 (97/4/25 Mailにて)
こちら網走では昨日から雪が降りだし、また、冬に逆戻りです。「日々、シジミの研究が私の仕事ですが、本当はこんなことをしているのではなくて、世界中を放浪したいのですが」なんていう言葉が、インドの話を聞くと、言いたくなります。では、また。