執行部を振り返って。。

by たかと


あれはHUCCの歴史に残る新歓活動だったと自負できると思う.
ボックス取りは当たり前として,GWまでの新歓期は毎朝教養部の授業のある教室の全部の机の上にビラを撒き,黒板に書き,ポスターも相当張った(少しでもうちのポスターに上から張った奴等はすべて破り捨てていたし,以降そいつらのポスターは関係ないところに張っていても破り捨てられた)
昼休みに勧誘も相当やった記憶がある.配ったビラは相当な数じゃないだろうか.他の部は当たり前にやっていたことを,うちでは殆どやってこず,ボックスと数回の説明会だけで済ましていたように思っていたので,とにかく徹底的にやった.
これが新人の人数(当初30は越えていた)となって表れたんだと思う.その後いっぱいやめちゃったけどね.

まあ,下の人間は飲むべし,と信じて疑わなかった.
でも,当たり前だけど,飲ませたら責任は持っていた.つぶしといて知らん顔はしてなかった.
田岡に運んで,談話室で夜通しおきてて,どっかの部屋で「うぇーーっ」という声がするとバケツと水をもってって背中さすって…ということを一晩中していたことも.
死人がでなかったのはホント今から考えると,たまたま運が良かっただけって気もするけど,どっかの部みたいに死人が出なかったのは,こういう裏もちゃんとあったからってことだとおもう.今となってはいばれることじゃないけどね.

まあきついエッセンを楽しんでたとこもあるな.何と言ってもうちの代には飽食がいたから.執行部の時のツアーで全カレー,しかもひんしゅくカレーをやったのが思い出に残っている.一番悲惨だったのがそばカレーかな.

事件が多かったツアーだった.何を隠そう企画した責任者は企画長だった俺なんだが.集合日にスーパーで車と接触事故(原林のあんた後悔するよ事件),望失踪事件,骨折して強制送還になった奴もいたはず.3年後に古賀の事故があった奥入瀬で泳いでた時,たろーが流されるということもあった.その時は笑い事で済んで良かったけど.そして極めつけが食中毒.丁度その日の宿がお化け屋敷だったんだなあ.

 個人的にはラグビーよりも,学祭のサッカー大会に出たかったので,出たけど1回戦負けした.
雪ラはラグビーの経験がなくても朋みたいにプロレス技だけ知ってればできてしまうし,何か冬場はこう燃焼するものがなかったので盛り上がったんだろうな.

 一番気合い入ってたのは,留年して暇だった原林.大工の頭領って感じで,いい加減な細工をすると,せっかく作ったのに容赦なく削られていた.
 わしは大仏の頭のいぼいぼ(仏教的にはなんて言うのかな)を生協の湯飲み茶碗で一個一個つけていって,結果的にすごいリアルにできて満足していた.