第34代目(1993年度) 執行部

道北ツアーの最終日、大通り公園で。


*執行部カラーと方針

人数は男10、女8と一つ上の代と同様女性が多かった。そのうち医短生3名。
カラーとしては執行部という威厳はあんまりなかったような・・。ドンパ同士ではめあったり、後輩からねたにされておちょくられたり、といったことが多かったかも。
新歓に関しては、一つ上の代のときから制限する・しないの話がでていて(人数の多い時代であり、ツアーの宿や安全確保などの関係で)、ストーブリーグにかなり話し合いをし、(4月○日までに○人来たらボックス撤退とかことこまかくチャートを作った))、新歓ランを日帰りで4回したり、臨時部会を新入生のために開いたり(飲み会にきてもらうため)など様々なことをしたが、ふたを開けてみれば宣伝不足だったためか全然新入生がこず、結果的に一桁で終わってしまった。(まぶちさんの時代と対照的ですね・・)
当然「あだなはつけるもの」という風潮は続いていた。

*酒について

飲み方飲ませ方はまぶちさんのころとそんなに変化なし。(上の人から杯を受ける時は、必ず飲み干してから(もしくは必ず口を付ける、半分位は飲む)両手で受ける」というように指導していました。)介抱なども同じ。田岡に必ず上の人間が送っていった。

*飯について

伝統どおり?男2合女1合。1年目が少なかったためいつも2年目まで通しがまわってしまい、当時の2年目には迷惑をかけた。

*事件について

ツアー集合日に、集合日を1日勘違いして間に合わないという隊があった。

*雪ラ

雪ラ委員長はやじま。チーム名は「ポール・イン・モンキーズ」。大滝合宿でも練習をし、試合はスクール・ウォーズのテーマ「HERO」をラジカセでがんがんかけまくった。堂々ベスト8入り。

*行き付けの店

18条の北大生御用達の「焼き鳥きよた」。2次会は「なんだかんだ」とか「多良福」が多かった。
ほか係コンパなど人数の少ないときは「赤ひげ」「青い鳥」なんかを使っていた。

宝来のチャン大はまだこの頃はあった(現在はなくなった)。ほか、正本(梅ジャン)、時館北海みよしの南路屋など。

*自転車情勢

現役はほとんどランドナー。エンペラーとシルクが多い。(マウンテンバイクは数台)

*役割

部長 内藤
副部長 矢島
渉外長 あわ
記録長 ごつ
備品長 ちてい
会計長 なよ
企画長 せっちゃん
銀輪編集長 どて

*札幌雪祭り(1993/2)

マニチュバ像

マニラさん&チュバさんの像。
完全にうちわうけ。

*特別な行事


情報源: ごつ(どんぱのみんな、追加コメントあったらよろしく!)