昭和39年卒の10人が40数年振りに集合!

多賀直久(S39年卒)

 HUCCの昭和39年卒の同期生10人が43年ぶりに集った。年賀状などでは、今年こそ会おうぜなどと言いながら、なかなか一堂に会することがなく、学科の同期会やHUCC OB会などでまれに会った人達もいたが、大部分の組合わせは卒業以来の再会だ。
 場所は、幹事の中路君の関係で東京・代々木にある「代々木倶楽部」、遠くからでも参加しやすいように、日時は祭日の3月21日の昼間。我々の同期生は、現在11名。何人集まるか不安の中で1月には連絡を開始。「銀輪」の名簿のお陰もあり、全員に連絡がとれ、札幌在住の後藤君を除く10人の出席が決定。内8人は首都圏に在住で、他はなぜか水産学部卒業の2人、兵庫県から多田君、静岡県から久木君が駆けつける。
 初対面では一瞬互いに戸惑うが、すぐに相手を認識でき、半世紀近く前に戻った姿と重ね合わさる。久木君が第1回の長距離ツアーである道東ツアー、第2回の道南ツアーの写真を持ってきてくれたので、当時の話もさらに盛り上がった(写真@〜B)。
写真@の大きな蕗は、昨年も観光バスの中からその存在を確認でき、この行列のことを思い出していた。写真を見ると、幹線道路でも未舗装なのがよく分る。札幌市内でも舗装してないドロンコ道が多かったくらいだから、それも当然かもしれない。集落に入ると、少しの間だけ舗装道路があり、歓声をあげて飛ばしたことを思い出す。
当時は、今はもうないと聞く北海タイムス社の後援を受け、Bのような写真が新聞に掲載されたように記憶している。また、道南ツアーでは、函館山の頂上まで自転車から降りずに競走して登ったのを思い出す。半世紀前はそんなパワーがあったんだなあ。

 写真@:先頭向かって右側は初代部長の(故)児玉さん

 写真A:前列右側の初代副部長の阿部さんはお元気でしょうか?

 写真B:函館に向かっていざ出発

 さらに第2回の道南ツアーのツアー報告書を持ってきてくれた人もいた。14日間(実走11日)の走行距離は870kmで、費用は何と一人4,000円。そのガリ版刷りの堀江君の力作が以後のHUCCのツアー報告書の原型となり、おそらく現在のツアー報告書につながっているのであろう。
 我々の代は、医学部の児玉さん、阿部さんなどが創部された後に入学・入部した実質的な一期生であった。理由は憶えていないのだが、廃部の危機もあり、しかしそれを乗り越えて部を継続することができた。現在のHUCCの隆盛を見るにつけ、我々の代もその歴史にかなり貢献できたのではないかと思ったりもする。
 ひとしきり歓談した後、各自の現況を順番に話す。我々の年代はもう65〜67歳、退職して悠々自適か、あるいは比較的軽い仕事をしているものがほとんどである。筆者を除き、全員が卒業後に就職した各業界(製鉄、金属、電機、化学、食品、化学調味料、製薬、油脂)の有力企業で高度成長期を立派に働きぬき、社会に貢献されたことを嬉しく思った(筆者は機械部品会社に就職するも、計4回転職・起業して、ソフトウェア稼業)。現在は、皆思い思いのことをやって第二の人生をエンジョイしている。残念ながら、卒業後もずっとサイクリングを続けた人はいなかったようだ。
 話は尽きなかったが、2年後に同じ会場での再会を誓って解散する。実に楽しい一時であった。HUCCに感謝!(写真C〜D)。

 写真C:宴会の様子

 写真D:道東ツアー参加者(*印)は写真Aの順に並んだ。
 多田(水産)、前田(工・電気)、松田(工・冶金)、望月(薬)、堀江*(農・農化)、石川*(工・合成化学)、今多*(工・電気)、多賀*(工・精密)、久木*(水産)、中路(工・冶金)

 なお、会場の「代々木倶楽部」は新日鉄の施設ではあるが、一般の人の利用申し込みも可とのことであり、場所、雰囲気、値段ともにこういった会合には最適だと思ったので、幹事さんのためにお知らせしておきたい(電話:03-3370-3141、URL:?)。