1999年度 OBランレポート

by 永沢(平成6年卒)


一日目

5月28日(金)  JR中津川駅→馬篭→阿木川ダム(約37km)

中津川駅に降りたら、さかなさん(12年目)がニコニコして来られ、「すでに、市役所のいい駐車場を見つけてきた」とのこと。さすがですね。それに比べ、ドンパは誰も来てない。
自転車を組み立てながら、「さかなさん、これどうすんでしたっけ?」と、まるで1年目と当時備品長のさかなさん、といった光景。みんな揃い、さて出発となったときには出発時間を30分過ぎてしまった。メンバーはうちのドンパの明日香、マニラ、太田、ザビにさかなさんとBit(8)で、案内状に時間厳守と書いたわりには、守らないのは自分たちじゃないか?伴走は、母となったドンパの二葉と亜ずみちゃん、Bit妻(旧姓難波、(8))と奏ちゃん、とドンパの虚ジャワ。天気は一面雲がたちこめてはいたが、雨は降らないだろうという予報だった。しばらく登って、馬篭に到着。金曜日の馬篭は閑散としていて、古い宿場町をゆっくり散策と行きたい所だが、このあとの時間が押していたので、みんなそわそわして落ち着かない。が、1軒の茶屋に入り、合流したチンドンさん(15)も含めて五平餅など食べていたら、時の経つのを忘れ、なんと16時30分。これから、20キロはあるのに!やはりドンパがほとんどで気合がぬけてしまった、ということにしておこう。そこから目的地の阿木川ダム付近では、迷ったりして、ライトも持ってないのにナイトランになってしまい、コテージに到着したのは、20時ぐら いになってしまった。
 コテージでは内林さん(21)、真美さん(15)、ゆうきくん、あずみちゃん、1歳の双子ちゃんの一家が到着しておられ、なんともにぎやか。お手伝い上手なゆうきくん、あずみちゃんに、なんと2人目の子供の予定日を1週間後に控えたBit夫人の協力を得て、こんなに食えるんかー、というくらい大量のカレーができました。が、ここはバス、トイレ、冷暖房、炊飯器完備のコテージであるのに、スプーンがないことが判明。マニラが恵那までお使いに行くはめに。そこでさらに煮込むこと30分。食べ始めたのはなんと、9時30分を回っていた。大人16人に子供4人がテーブルを囲み、まるで田舎の大家族のよう。内林家は新しいコテージを汚さないようにと、ビニールシートを敷き詰め、まるで北辰会館での新歓コンパのような臨戦体制。カレーは泣きながら玉ねぎ10個を切ってくださった内林さんのおかげもあってか、甘味があってうまいと大好評。考えてみれば、20人分ひと鍋で、クラブの大鍋の2倍であったのだ。ところがここで問題発生。先程までにぎやかだった内林家がおとなしいと思ったら、ゆうきくんがコップを握り締め、目には涙を浮かべ、必死の形相。わたしは長年小さい子と接して いなかったので気づかなかったのだが、このカレーは子供には「辛すぎた」のである。ごめんね。ゆうきくん、あずみちゃん。
 夜には篠原さん(17)夫妻、朋さん(14)夫妻が到着。内林さんの昔のクラブの話など聞きながら、2時ぐらいまで飲んでいた。

二日目
5月29日(土) 阿木川ダム→恵那峡→付知峡(46km)

 次の日の朝ご飯は納豆卵ご飯と味噌汁、とツアーの朝エッセンを真似たのだが、芝生の上にお茶碗とおわんという奇妙なことになってしまった。天気は曇り。10時コテージ出発。
今日は恵那峡経由でマニラおすすめの「博石館」まで行って、土曜から参加組と合流。昼エッセンはコテージで炊いたご飯を昨日の大鍋に詰め、おかずは昔懐かし缶詰。これが1人1個以上という、現役時代には考えられなかった贅沢さでありましたが、みなさんいかがでしたか?
 この日私は土曜から組の集合地、恵那駅に向かいました。まず目に入ったのが、生協ジャージで真っ赤な顔して空気を入れている某UDこと類さん(10)。準備万端の峠さん(20)(最初名前間違えてすみませんでした。)よく見ると、集合時間1時間半前というのに結構来ている。
それからはあちこちから涌き出るように人が増えていき、久しぶりのご挨拶。望首さん(11)は去年と同様、時間ぎりぎりにさっそうと登場。しかし、集合時間近くになってもお気に入りの「博石館」を離れがたいのか、道案内人のマニラが来ない。千崎さん(25)、ゴキさん(23)、那珂さん(20)が「適当に地図みて行くわ」と先発隊として出発。中発隊としてマニラが引き連れて、大部分が出発。車を中津川まで置きに行った人や、新妻亜子さんとショッピングプラザ「バロー」でお帽子などお買い求めになってらしたDazさんら最後に残った人たちで後発隊。ここで気づくと、道案内人に「べしお(10)」、伴走車に道を把握してない私とザビ(10)。そうだマニラに地図もらうの忘れた!時間は相当押していたが、まあなんとかなるさと私がナビしていたのだが、この後発隊のみなさん、とっても激走してくださるので、すぐに車に追いついてしまう。途中何度か迷いながら、激走の末なんとか博石館に到着。後発隊のみなさん、すみませんでした。
 博石館ではみんな待ちわびた様子。集合写真をとり、出発。ここからはしばらくマニラ君の見つけた国道の裏道を行く。私はここから走ることになり、自転車を組んでいたら皆から遅れをとってしまい、道案内人のあの子持ちレーサー二葉と走るはめに。二葉は「車が少なくて北海道みたくていい道だねー」などと話しかけてくるが、確かにいい道ではあるが、私はそれどころじゃなかった。いつのまにか天気はとてもよくなっていた。
 国道からは太田君(10)に交代して私が伴走車を運転することになったのだが、何しろペーパーで1人じゃ怖いもので、一緒に伴走してくださった竹中さん(二葉だんな)の車の後ろをピタリとついて、まるで伴走の伴走。国道から折れて、付知峡の山中へと登って行く。チーム林野庁のレーサーであれらる竹中さんは途中で二葉と交代して、待ってましたとばかりに登って行かれた。車ではよくわかりませんでしたが、みなさん、快適な登りでした?
だいぶ暑くもなっていたのでしんどかったかな?
 今日の宿の「不動滝ひろづき」は山奥の土産物屋という雰囲気で、このあたりではもっともcapacityの大きい所であったが、やはり、40人には手狭であった。が、お部屋やお風呂からは深い緑が見渡せ、環境は良いところだった。裏の不動滝へ散策へ出かける人(緑の水が神秘的なところでした)、さっそくひとっ風呂浴びる人、宿の前のベンチに腰掛け、到着後のけだるい雰囲気。佐伯さん(15)が自慢の奥さんを連れて到着。
ここで、男女のお風呂割を徹底してなかったため、あねごさん(11)がなんか話が違うと思ったら、手前の方の男性風呂に一人で入ってたらしいのです。しかも鍵もかけずに。でも、だれも入って来なかったんですって。男性諸君、惜しいことしましたね。あねごさんごめんなさい。女のひとは狭いお風呂で、考えてみたら、後からでも広い方に入ってもらえば良かったですね。
 夕食はその土産物屋風のの食堂で、地元でとれたであろういわなの刺身?や、山菜、たけのこなどなど、よくある山奥で出される素朴な山菜料理よりは味付け、見た目にプラスαの工夫がしてあり、なかなかおいしかった。最後の蕎麦の実粥、朴葉寿司×2まではみなさん食べきれませんでしたね。恒例の自己紹介では、はじめて2人そろって来たHさん(11)神木(9)夫妻、新婚ほやほやの泡ちゃん(9)、妻の花子(10)のお目でたが判明したザビ(10)などが泡ちゃん流そ〜れ、そ〜れ攻撃で祝福を受ける。
 夜の宴会は男部屋の大広間にて、布団に潜りながらちびちび飲む千崎さん、広野さん(今回最長老)はじめとするadultグループ。私がお風呂に行ってる間にすっかりできあがってじゃなくてもりあがっておられた佐伯さん、篠原さん、Dazさん、てんたさんグループ。
Dazさんやてんたさんが上の方にかわいがられている様子は、なにか新鮮。今回のOBランでは飲み会に重きを置き、「これぞHUCCというところを見せてやれ」と言っておられた朋さんが若者を引き連れ、「古今東西ゲーム」。これであっという間にウイスキー、焼酎がなくなってしまった。いいだしっぺの朋さんも結構はまり、あの飲む瞬間の苦々しい表情はほんとに嫌そうなんだけど、それでもやはりお好きなんでしょうか?このゲームにより、苦しい、いや楽しい思いをした若者が多かったのではないでしょうか?

日目
5月30日(日) 付知峡→中津川(30km)
 翌朝は、二日酔いのけだるさにはいやみなほどの快晴。朝飯を食べられない人もいたが、10時には皆出発。今日は下るだけというせいもあるが、やはりせっかく来たのだからという意気込みが違いますね、佐伯さん。昨日喘ぎ登って来た深い緑の中を軽快に下って行く。
「やっぱり天気いいとどこいってもいいですよね」とNayoちん(9)。きれいな木曽川で水遊びしたくなる気持ちを抑えて中津川に向かう。途中の道の駅ではジュ−じゃん。今回の数々の失態がたたったのか私が負け、みんなにおごるはめに。ここで千崎さん、那珂さん、ゴキさんとお別れ。中津川に近づくにつれ、どんどん暑くなり、消化コースになってしまったため、みんなけだるそう。休憩では氷を買ってしまうほどの暑さとなってきた。12時30分ころ全員無事に中津川駅に到着。
 金曜日にここを出発したことを思い出すと、この3日間がとても長く感じられました。
「3日前中津川駅に着いたときには地べたに座るのに抵抗あったけど、今はもう平気で座っちゃている」と明日香(10)談。はい、あなたはこの3日間で立派に昔の感覚を取り戻したようですね。本当に3日間だけでも、こうしてドンパを始めみんなと一緒に走っていると学生時代にタイムスリップしたようでとても不思議な感じがします。とはいえみんな明日があるから、いつもOBランの最後は、解散後、一人減り、二人減りして、1人家に帰って日常に戻る、というのが寂しいです。(当たり前だが)。

 私は現役時代は班長、隊長などというものはやったことがなく、地図の見方も良く分からず、みんなについて走っていただけなので、今回ほどまじめに取り組んだことは無かったかもしれません。それでもドンパのみんなの協力で無事今回のOBランを終えることが出来、感謝しております。しかし反省点はいくつもあります。事前の打ち合わせの機会は何度もとり、十分準備していたつもりだったのですが、最後の詰めが甘く肝心なことが抜けてて、当日バタバタしてしまいました。参加された皆さんにはご迷惑をおかけしてしまったことをこの場をお借りしてお詫びいたします。やはり、にわかにやる気をもって取り組んでもダメですね。

 私はここ数年OBランに参加しているのですが、参加メンバーがわりと固定化していて、関東在住の方に偏っていると感じていましたので、今回は関西からもアクセスの良い場所を選び、関西方面を始め多くのOBの皆さんに案内を送りました。でも結果的には関西圏からの参加者が少なく残念でした。(電話勧誘に応じて、奥さんまで連れてくださった佐伯さん、ありがとうございました。)
地理的な問題からOBランの設定場所は難しいのですが、このまま関東圏主体になってしまうのは寂しいので、来年からはぜひ関西方面からの参加者が増えることを期待しております。来年の幹事はざびいちなので、その辺、期待しましょう。

1999/7/20 投稿