1989 OB Run 志賀高原〜野沢温泉
「新緑の高原といで湯の旅」    幹事:S59卒 那珂

6月2日(金) 長野駅〜志賀高原蓮池 約50km

 朝6:30集合という無理な集合時間のせいもあって、今日走る予定の人は道原さん(
S58卒)と私だけで、寂しい出発写真を撮る。お互いに会うのも卒業以来で、積もる話
もたくさんあるが、とりあえずそれは宿の楽しみとして走り出す。
 須坂、中野まではおおむね平地だが、湯田中までの川沿いの道は真っすぐに標高を稼い
でいくので結構きつい。湯田中のバスターミナルで休憩すると、なんと道原さんはバス輪
行すると言い出すではないですか!ここまで来るのもけっこうつらそうだったので、もし
かしてとは思ったものの本当にそうなるとは・・・。幹事の私としては何とも寂しい気持
ちで一人ペダルを踏み出した。料金所を過ぎると鬼のような急坂がまっすぐ続き、遠くを
見ないであえぎあえぎ上っていると、やがて1台のバスが追い越していく。真っ黒な煙の
向こうには道原さんのニコニコ顔が・・・・見えたような気がする。
 途中何回も休んで長野駅から標高で1000m程上がると丸池。ここまで来ればあとは
もう少しなんだけど、もう体が動かないので、池に泳いでいるアヒルを相手に大休止。
 なんとか明るいうちに宿に着くと、当然道原さんは浴衣姿で待っていて、それから、草
津側から走って登ってきたコンタ(田中、S61卒)や小沢(S62卒)とも久しぶりに
再開。(そういえばこの2人と私は正進荘ファミリーでしたね。)
 それにしても一人で走るOBランって今までにあったのかなあ・・・ねえ、道原さん?

6月3日(土) 志賀高原蓮池〜野沢温泉 約60km

朝、宿の朝食をとり、宿の目と鼻の先にある蓮池のバス停に行くと、そこにはバス輪行で
やって来る人たちが三々五々集まってくる。今回初めてお目にかかる大先輩の野崎さんは
S45卒でいらっしゃって、現役時代の言葉で言えば、もう雲の上の人とか神様とか、も
うそういったレベルを超越した存在の方なのですが、お持ちの自転車がこれまたコッター
ピンのクランクにウィングナット締めのハブという今となってはとても貴重なもので、注
目度No1の自転車でありました。そんなことで盛り上がっている時に、バスではなくて
自転車で登ってくる人がいるという。そうそれはゴキさん(川浪さんS56卒)。途中で
休んでいたゴキさんに、車で来ていた牧(S61卒)が「乗っていきませんか」と声をか
けたが、ゴキさんはかたくなに拒んで、あくまで自転車で登り切るとのこと。やがてバス
停に姿を現すと、集合までに1000m近くも登ってしまうという気合いのはいりように
我々一同感激しながら再会する。
 さて、まずは出発。おっと、忘れてはいけないお弁当・・・これは全員分を牧の車に積
んでもらって、楽をさせてもらう。蓮池から一ノ瀬までは一般道を行き、ここらへんから
雑魚川沿いの地道を走る。焼額のあたりで一旦元の道に戻るが、すぐに舗装は途切れて
志賀林道
の懐へと入っていく。アップダウンの頂上に着く度に休んでは雑談してちょっと
ずつ進み、お昼は雑魚川にかかる橋のたもとでとる。各自思い思いに川原の大きな石をイ
スにして、宿までの間の唯一の食料を腹に収める。道原さんは持参の釣り竿を手に川の上
流へと小さくなっていってしまった。収穫の程は???
 午後もひたすらダートを突き進む。所々にある路肩の残雪と木々の新芽のコントラスト
がいかにも雪国の春を思わせる。(うーむ、まずは今年のテーマの半分は達成できたナ・
・・)。それにしてもずっと続くダートは年月を経た自転車や人間に過酷であって、自転
車はパンクやバーストで走るのをいやがるし、人間もこれをいいことに休みたがるし・・
・。休憩中に吉田さん(S58卒)がゴキさんの自転車を見て、「ここにキズが・・・」
とチューブラータイヤに手を触れたとたんに、パアーーーンとイッテしまいました。(ち
なみに吉田さんのチューブラーはひびひび
割れ割れながらも2日間ノーパンだった。)
 この日もなんとか明るいうちに野沢温泉の宿に着くことができ、時間の使い方のうまい
人は温泉街にいくつかある共同浴場へ行って(巡って?)今年のテーマの残りの半分を満
喫してきた。
 夜の部では車組の人たちも加わって恒例のにぎやかな宴となり、都ぞ弥生でお開き。

6月4日(日)野沢温泉〜長野駅 約50km

 昨日はマウンテンバイクの独壇場だったけど、今日はほとんど平地のオンロードでレー
サーの天国。とはいえ、結構なハイペースの集団の中で、あのゴツゴツタイヤのすごいう
なりをあげながら健闘しているコンタの姿が印象的であった。実のところ、レーサーで必
死の私をブッちぎって、ランドナーでカッ飛んでいく先輩がたの多いのには参ってしまっ
た。
 途中、別コースを行く方々とお別れし、無事長野駅で解散。
 この日のことはあまり思い出せないので、これでおしまい。

<あとがき>

 このたび馬淵こと吉岡妻がHUCCのホームページを開設してくれて、過去のOBラン
の記録を募集中ということで、自分で書いた開催通知や写真アルバムを引っ張り出して記
憶の糸を辿ってみました。本来OBランの幹事としては、銀輪に投稿したり集合写真に全
員の名前を付して送付したりと、やらねばならぬことはいろいろあったのですが、時を逸
してしまうとどうも手が着かず8年も経ってしまいました。しかしOBランの過去の記録
という記事(以前の銀輪や今回のホームページ)を見るにつけ、89’のランの記録が無
いために幻になりつつあるのを感じて、急に何か書いてみようという気になった次第です

 この時のOBランは近年ほど人数が多くなかったので、特に下見もせずある程度行き当
たりばったりという感じでした。奥志賀林道は、この年の何年か前に車で走ったことがあ
り、一度自転車で走ってみたいなあと考えていたコースでした。でも、今の感覚でいくと
、蓮池から野沢温泉までの1日分のコースがほとんどダートで、店や水場が1ヵ所も無い
というのはいささか冒険だったような気がします。この日の昼食のことも何も考えてなく
て、間際になって蓮池の宿に弁当をお願いしたような記憶です。
 ところで、このOBランで一番の印象と言えば、何といっても野崎さんに初めてご参加
頂いたことです。私から数えれば14年も上の先輩が、泊まりにではなくて走りにいらっ
しゃるということで、それはとてもうれしいことでした。野崎さんはその後のほとんどの
OBランにも参加されて、その年に新社会人となった人たちとも親しくされているという
ことは素晴らしいことだと思います。私もいつのまにか卒業して13年がたち、子供もで
きてどうも動きが鈍くなりがちのこの頃ですが、少しでも野崎さんを見習っていければと
思います。
ではまた次回のOBランで・・・。 1997/3/26 投稿