野崎さんの2005年OBラン参加日記

1日目2日目3日目|野崎さん参加日記|内田さん報告Topへ

2005/6/3(金)

  1年ぶりのOBラン参加です。
  一昨年はS53門岡さんが持参した新式サイクリング車(寝ながらの姿勢で上を見ながらペダルをこぐ:リカンベントというらしい)を試し乗りしたとき、 自転車を滑らし、体ごと背中から落下、胸椎を打撲。それから1ヶ月も痛みが続いた。もう完治しているが、昨年はOBランを欠席をした。 今回は家から近いこともあり、また新しい出会いへの楽しみから金曜から参加した(金曜から参加すると人数が少ないせいもあり、 わきアイアイの雰囲気で気兼ねなく付き合える良さがあるのです)。その前には、このOBランに先だち、5/14新宿での恒例の関東地区新歓コンパ゚にも 出席して、若い人たちと交流を深めていました。

  さあ、6/3金曜日、あさから雨模様の天気。2週間前に物置から出して1年ぶりに組み立てた自転車を車に積み、出発。 この自転車、車輪のまわりに錆は出ているものの、前日の試し乗りで性能他問題なきこと確認済み。10:00に日光駅に到着、 すこし早めだがすでにH9香山、H10田中大君らがきていた。幹事のH12鈴木さん、内田さんも到着、11:00駅前に集合してから東照宮に向かう。 やや登り、やはり最大ギヤーを落としてこいでも苦しい。無理はしないように注意注意。東照宮参拝は小学校以来か? 修学旅行生が相変わらず多いところである。12:30にJR日光駅へ戻る。S53年卒門岡さんが来ていた。1年ぶりの再会です。

  皆さんで食事をとって、鬼怒川温泉へ向かう。小生もところどころ車を置いては自転車で走る。傑作なのはH7白木さんが持参してきた 子供を乗せるキャリアだ(名づけてチビチャントレーラ)。自転車の後方ステー左側に連結してこぐ。持ち上げた所、意外と軽い。 道行く人々が微笑ましい視線をかざしていた。駅前の信号では若い写真家たちも来てぱちりぱちり。実はこの前に、 このキャリアに香山さんが乗車して、田中大君がこぐといったデモンストレーションをJR日光駅前で実行していたのです。

  鬼怒川温泉は日光からはすぐだ。着いてから自転車でブラリ。天気は少々回復気味だが明日は悪く なるらしい。夕食前に温泉へ。一富士旅館はがら空きで飯は上手い。メイン幹事のH12波多野さん到着。 S62篠原ご夫妻も那須塩原の道の駅へ車を置いて、約50kmを走って到着。ご夫妻は、毎年よほどのことがない限り、 OBランに参加されるのには敬服に値します。H13の山本君も車で駆けつけ、夕食時にはH15の興野君、 さらにH6久富ご夫婦がお子様2人連れて到着、これで全員揃う。夕食後は別館で宴会。恒例の自己紹介等始まる、 近況とかあだ名の所以を披露したり。。。。。小生、野崎はS41年のHUCCのユニフォームを身に着けながらクラブの歴史やらを披露。 このように皆さんで11時過ぎまで飲んだり食べたり語ったり、夜が静かにふけていきました。

  夜中を過ぎて、ワールドカップサッカーアジア最終予選日本対バーレーン戦をテレビ観戦した人は小生ただ一人、 皆さんはぐっすり眠りこけている。ものすごい寝びきの合唱でした。結果は1対0で日本が勝ったが終わったのが 3:30でした。さすが眠い。。でもまだ合唱は続いている。コンクールでもしたら誰が優勝するかなと思いつつ、目を閉じた。

2005/6/4(土)

  朝、さすがに眠い。自転車で鬼怒川を散歩。宿に戻って、S53門岡さんと記念撮影。そのご単独行動、 一足先にもみじライン(健脚コース)を車で走り、塩原温泉の宿まで届け物。見晴らしの良い休憩場所で写真をパチリパチリ、 うす曇りの時折晴れ間の見える天気でした。帰りは一般コースを逆走。少し交通量が多い。東武鬼怒川温泉に昼前に到着。 本日から参加のOBの皆さんもほぼ全員到着。S53天皇さんも来ていました。昨夜からの宿泊組は、 午前中ここ鬼怒川でお猿に会いに行ったとか山登りを楽しんだとか。。。駅前で昼食を食べて、2組に分かれていざ出発。 小生は車で別コース(平地)を運転。大変な雨雨雨でした。さぞかし走っている人はずぶぬれだろうなと思いながら、一路塩原へ。 宿へ着くと既に早い人は到着していて、風呂へ入っているとか。。雨もそんなに気にはならなかったらしい。 田中大君は鬼怒川塩原もみじラインで峠と麓をすいすい2往復して、まだ余裕あるとのこと。 いつの間にかH1吉岡さんも走っていました。彼は鬼怒川公園口で降りたため、集合場所で皆さんと会えず。 それでも必死になって走って来た。今日皆さんに会えないと宿がわからないとのこと、関係書類を忘れてきたらしい。

  宿で夕食までの間に露天風呂につかりながら、皆さんとだべりんぐ。いよいよ夕食が始まり、恒例の自己紹介。 幹事曰く人が多いので質問は無しにしまあす。。と。それでも一時間は軽く越えました。私は相変わらずのトリを務めました。 HUCCの歴史の伝道者となるべく。。なあんて言いながら、HUCCの創立から始まって、OB会は、OBランは…という具合に歴史を紹介しました。 引き続きこの場所で宴会が始まりました。よくわからない槙さんのタイ米(舞?)のパントマイム、 それに香山さんの肉体美披露とそのままでのギター演奏とか福井さんがいれば皿回しをやったのにと思いながら。。。 それぞれ席入り乱れての語り合いが長くまで続きました。おやすみなさい。

2005/6/5(日)

  昨日の雨とはうって変わって、すっきりした、気持ちのよい天気。本来6月上旬はこうでなくてはならない。宿の前で集合写真。 林道走破組(天皇、門岡、吉岡諸兄)が出発してから、あとの集団が宿をあとにした。すぐ出た橋の手前で、 皆さんの走行姿を写真におさめた。H7白木さんの子供用キャリア(チビチャントレーラ)が快調でした。 車で那須塩原駅まで行ってから、ここから自転車にて、しばらく散歩ランです。途中の県道でまた皆さんをパチリ。 快調そのものの子供用キャリアの中ではチビちゃんがぐっすりのようでした。昼前に全員無事に那須塩原駅前に到着。 記念写真を撮ってから来年の再開を約して、このOBランが無事に終わったことに感謝しながら、それぞれ帰宅の途につきました。

 

追記:日光東照宮の説明

  1617年(元和3年)、2代将軍秀忠が、家康の遺言により家康を祭神として創建したもの。その後、 家康を深く尊敬していた3代将軍家光が、莫大な費用をかけた寛永の大造替(1634〜1636年)を行った。 建物には、驚くほどの極彩色に細密な彫刻、金箔が惜しみなく使われており、江戸初期の技術の粋が凝縮されている。 山王一実神道[さんのういちじつしんとう]の宗教理念により、 神社建築と寺院建築が混在する独特の様式は他に例を見ない荘厳さを醸し出している。国宝8棟、重要文化財34棟だそうです。

S45年卒 野崎記

1日目2日目3日目|野崎さん参加日記|内田さん報告Topへ